投稿者:住村 慶子(寺)投稿日:2024/09/13

 最近、テレビで宇治川のほとり、塔の島、平等院、有名な茶所などの映像が映し出されて思い出深く、なつかしく見ていました。宇治は私の故郷です。

 小学校は道路をはさんで向かいが平等院、少し歩けば宇治川、塔の島、川の東側は宇治神社。1年生の入学写真は神社の長い階段で撮りました。
 格式の高い平等院には、当時同級生の友達がいましたので拝観料なしで入り、本堂で学芸会や踊りの練習をしたり十一面観音さんを拝んだり、お坊様の話を聞いたりしました。

 また、学校の写生会や学級写真も池のそばで撮り、神社の参道を通り抜けて宇治川の土手や塔の島で鬼ごっこやドッチボールをし、みんなで歌を唄ったりしていました。夏には宇治川の支流を橋の下から堰き止められてプールになり、学校でも使われて楽しかった思い出です。
中学校は茶畑の間を通り抜けて兵舎だった所が校舎になり、原爆に合われた先生が私たちバレー部員の練習にも来られ、さらに、その時の監督さんが高校の体育の先生で、私たちは国体や全日本の大会も京都代表で初の全国優勝により表彰されました。
 私は勤め先を早期退職して「手芸普及協会」に入り、好きな編み物で北海道、デンマーク、フランス、モナコなどで行われたセミナーに参加しました。
そして、親友から編み物を教えてと頼まれ、仲間(7~8人)で編み物と楽しいおしゃべりの会を開き、10年以上も続いていましたが、コロナ禍でプッツリ途絶えました。最近は電話で近況を話しあったりしていますが、友人が一人また一人と亡くなられ、せめて宇治駅近くのお店でいいから皆で会いたい。会おうねと話しています。
 宇治川の鵜飼い、花火大会、県(あがた)祭りなど大変なつかしく、思い出つきない宇治が私の故郷。この歳になった今でも交野から皆さんに会いに行けることを願っています。