投稿者:森本久子(森南) 投稿日:2025/05/17
私の故郷の思い出
私は、大阪市都島区で育ちました。記憶の中にある景色といえば、刻々と移り変わっていく街の発展ぶりでした。
私は戦後生まれなので大阪大空襲は知りませんが、周辺に高い建物はなく小さな平屋の窓から大阪城の天守閣が見えました。

街中にガレキなどは残っておらず、それなりに整備はされていたように思います。
しかしながら、空き地という空き地はすべて畑になっており、日曜日になると近所中のお父さんたちが出てきて、大根やトマトなどの野菜を作っていました。
朝に摘み取ったイチゴを食べて甘かったのを覚えています。
家に電気はきていましたがガスや水道はなく、台所には私の体がすっぽり入る大きな水瓶があり、学校から帰ると共同の水道栓から水を運び水瓶を一杯にするのが毎日の私の仕事でした。
また、家の向かいには共同のカマドがあり、おくどさんが四つか五つ並んでおり、近所のお母さんたちが順番にご飯を炊いていました。
私は火の番と後の消炭を消壺に入れるのを手伝っていました。
その内、水道が各家庭に届くようになり、ガスは少し時間がかかりましたが、カンテキ(小さなコンロ)が普及して、ご飯やお菜が炊けるようになりました。
ほんの短い期間だったように思いますが、水くみをしなくて良かったので嬉しかったです。段々と周りに家が建ち並び、いつの間にか畑もなくなりました。
昨年12月にアルピニストの野口健さんの講演を聴きました。今の子供たちに自然体験をさせて下さいと話されました。
かまどの使い方、汚れた水の濾過方法、何もない自然の中である物を利用し活用することを体験させて欲しいと話されました。
地震や災害で起こる都市の壊滅。日本は災害の多い国、こんなことを孫たちに話しても理解できるかな。
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