投稿者:北村 順子(星田西) 投稿日:2025/06/13

江戸時代大阪の西の守りであった尼崎城
(平成30年再建竣工)

 私の故郷は兵庫県尼崎市の杭瀬です。尼崎市は兵庫県の南東部に位置し、現在では人口45万人の中核市です。

阪神電車、JR、阪急電車が東西に走っていて、大阪や神戸、京都や奈良でも乗り換え無しでアクセスできます。

関西3空港へも1時間以内で移動できる交通の便がとても良い街です。
また、山がなく、坂道も少ないため、徒歩や自転車での移動に最適です。南部に工業地帯、中央部に商業地域、北部に住宅地が広がる形で発展を続けています。近くの神崎川を渡るとそこは大阪市西淀川区です。

 尼崎市内の電話番号は06で始まり大阪市内といっしょです。私は昭和24年、当時木造2階建ての小学校に入学、1年生から3年生までは2部授業制で早番は午前中で終え、遅番は昼から3時30分~4時位の授業時間でした。4年生の時、新校舎が出来て通常授業になりました。その当時は畑、田んぼが多く友達とおしゃべりしながらの下校時にはよくぬかるみに足を取られ難儀したことがありました。また、中学校は自宅から30分もかかるため、忘れ物を絶対しないよう気を付ける習慣がつきました。
当時のクラスは1学年14学級、1クラス60人でした。今では想像できない教育環境でした。

期末テストが終わると決まってクラスの友人と、甲子園球場の高架下から浜甲子園まで電車に乗り海水浴場で遊び泳ぐのが楽しみでした。甲子園球場近くには阪神パークがあり子供たちの楽しむ遊園地でした。
時代も変わり今は海水浴場もなく遊園地もありません。もう何十年も行っていませんが近すぎていつでも行けると思っているうちに、街はどんどん発展し今の私には分りにくくなってきました。