投稿者:山﨑 喜久江(星田山手) 投稿日:2025/08/18

「平和の誓い」像 (品川区・大井町駅前)

 私は東京がまだ東京府と言われていた頃の昭和12年に品川町で生まれました。その後、東京府と東京市が併合して東京都になり、区部は統合整理が繰り返されて品川区になりました。
鈴ヶ森小学校に入学したころの東京はまだ平穏で、子供ながらになにひとつ不自由のない生活をしていた思い出があります。でも、もの心のついた7歳を過ぎた頃は、太平洋戦争の真っ只中で東京もアメリカ軍のB29の空襲などで日増しに危険な状態が続くようになってきました。そして、私達は街から田舎に疎開(避難)することになって、爆弾や焼夷弾で街が燃える中を父に背負われて炎をくぐり抜け、母と3人で近くの知り合いの家に避難。その後さらに、栃木県日光近くの父の郷里に疎開避難した記憶が思い出されます。
 終戦後1年位たってから、元の東京に戻って生活するようになり、中学、高校を卒業後、かつて希望していた学校(メイ牛山学園「ハリウッド美容専門学校」)に入学。専門知識や技能の習得に励みました。

資格取得もでき無事卒業後、銀座のハリウッド美容室に就職できて東京での生活が続きました。
また、仕事に就いて間もなく、当時のメイ牛山先生が全国各地で行う講習会等にアシスタントとして付いて廻る機会を与えられて、国内の多くの都市を訪れる事ができ見聞を広めることができました。
 その後、縁あって結婚。東京の生活から一時期は広島へ。広島では「原爆記念会」にも参加させていただき、戦争の悲惨さを目の当りにし、絶対に戦争はしてはいけないことを強く感じました。
 時は経過しその後主人の仕事の関係で、大阪に移り住むことになりました。大阪に来てナルク活動に参加させていただき、多くの方々にお世話になり楽しく過させていただいております。私の故郷はいくつもありますが、やはり生まれ育った東京が故郷になります。何度帰省しても街の変化が激しく、ついて行くのが大変ですが新旧の景観が混ざり合う中、昔の面影を思い出しています。