投稿者:米谷 ユリ子(星田) 投稿日:2025/02/14

 私の故郷は前が宇和海、後ろの山は段々畑という、愛媛県の南予地方にある吉田町です。愛媛ミカン発祥の地であると共に、水産業も盛んです。平成17年の合併で今は宇和島市の一部になりました。
漁業は夜から網漁に出て、明け方に帰ってきます。隣の家の前は茹で上がった「しらす」を干しており、美味しい匂いにひかれてつまみ食いをしていました。

今でも帰省の度にビニール袋に入れた「しらす」を手土産にいただきます。
春になると中学校は一週間の農繁期に入りました。仕事は芋のつるを植え付けることです。

段々畑でリヤカーが通れるほどの細い坂道を、荷物を背負って「あの峠まで、あの峠まで」と思いながら登りました。正午のサイレンが鳴ると昼食で、母の作ってくれたおむすびを山頂で食べた味が忘れられません。
秋になれば芋掘りと黄色に色づいたミカンの収穫が始まります。あの頃は品種も少なかったのですが、今は甘くて美味しく、品種も多くなり、日本一のミカン産地になっています。
今の故郷には昔の生活はなく、段々畑は芋畑がなくなり一面ミカン畑になっています。また、トンネルの開通などで車での移動は便利になっていますが、若者は都会に出て行き後継者がいなくなっています。子供も少なく学校も統合されています。やはり、時代の流れには勝てないようです。でも、当時の私の故郷を心の宝物として持ち続けています。

中学生時代の街の様子(入り江の中ほどに実家がある)