投稿者:堂野 喜美子(星田) 投稿日:2025/04/16

 星田に嫁して65年余り、私が生まれ育ったのは、北河内郡菅原村大字藤阪です。東西に細長く家並みの整った綺麗な農村でした。

東には菅原神社、宮さん山が深く、長尾病院(旧陸軍病院、現枚方公済病院)へと続き、傍らには王仁塚があり松林の中に王仁博士の記念碑が建っていました。

西は先端が見えない位の広大な山田池が満々と水をたたえていました。

一面の田んぼ道をガキ大将と列を組んで山田池へ。水面に浮く菱の実を取りました。

林を隔て、明尾寺があり、八月十日は毎年「十日盆」、盛大な観音祭りで山内には夜店が立ち並びそれは賑やかでした。
 南方には、松並木の美しい堤防の穂谷川、並行して中川、裏ん川が田畑を横切り流れていました。モロコ、鮒、どじょう、まれに鰻も採れ、バケツ一杯にはね回る小魚、父との姿が浮かびます。北側は芋畑、竹藪、御坊山が続き、淡竹や蕨、ぜんまい等山菜が豊富でした。
大東亜戦争が始まり出征される兵隊さんの武運長久を祈り神社から長尾駅まで行進、ホームで汽笛を耳に見送りました。昭和二十年七月、空襲警報発令で下校途中に米軍戦闘機が低空飛行し、機銃掃射されたのは恐ろしい思い出です。

近所のお寺には集団疎開の児童。毎晩入浴に訪れ、田畑の蝗(いなご)は貴重な蛋白源でした。終戦の玉音放送は家族の皆が正座、畳に頭をつけ涙を流し聴きました。
今なお郷愁を感じるのは、祖母の実家の酒蔵から聞こえてくる蔵人たちの酒造りの歌声です。夜の静寂の中で心に沁みるものでした。(百六十年余りの続いた小北酒造は平成十八年廃業されました)郷土史家片山長三氏の津田町史、寺島正計氏の藤阪今昔物語には旧石器時代の遺跡から時代を追って詳細に記録され、興味深く、祖先や郷土の歴史を知ることが出来ます。